法話・句碑
- HOME
- 法話・句碑
法話
三日坊主修行の理念
「大人はどうするか 子どもの心の教育」
相変わらず、毎日のように殺傷事件が起こっている、特に弱者や子どもが犠牲になっていることは悲愴であり、明日の社会の危機である。
どうしてこのような事件が起こるのでしょうか。事件の起こるたびに関係者や評論家はその原因を語っている。考えてみると、本来、動物は弱肉強食の世界であるが、その部族は親の教えによって秩序が保たれて、子孫を繁栄している。
人間は万物の長といわれ、地球をわがものとして、おごりがあれば遅からず人類は滅亡するであろう。それは、地球の歴史が教えている。かつて、強者の恐竜やマンモスは変化する環境の対応を怠り滅亡した。弱者の小動物は強者や環境に対応して生存してきたのである。驕(おご)れる者は滅ぶということである。
今の世情を見ると、権力者や富豪者の驕れる人は、失墜している現状である。
ドロシー・ロー・ノルト氏は「子は親の鏡」という、即ち、親が善であれば子も善良であり、親が悪であれば子も不良であるということになる。親は青少年、子どもの非行は親の責任であることを自覚しなければならない。不良の親にならないために子どもの時に心の教育をしなければならない。
アメリカの人類学者スキャモン氏の発育曲線によると、発育を4つにわけて20歳を大人として100と考えて、年令で発育の高さを表したものである。
1つ目は一般型で身体、臓器などの発育は右上がりに発育する。2つ目は生殖型で思春期に急速に発達し成人の機能まで達す。3つ目のリンパ型は免疫力のことで、10歳の時には成人の2倍に近くになり、その後は急速に低下する。4つ目は神経系型で脳や神経の発達で学童期に急速に伸び、6歳で成人の80%に達し12歳で100に近くなる。
このように発育には、順序があり、神経系の曲線に注目して幼児期から学童期に脳神経の急激な発達があり、歩行、言葉がはじまり、情緒や好奇心が盛んとなる。この時期こそ親子関係、周囲の人々の交流の中で、愛情とか情緒を受けることにより社会性や人間関係の基礎が養われ、安定した情緒が生まれると考えられる。
この心の教育は、誰がするか、言うまでもなく家庭であり、学校であり、地域社会である。特に地域の中での子どもを見守り、叱ったり、ほめたりすることが大切である。
しかし、3月19日に発表した内閣府の世論調査では、少年の不良行為に「見て見ぬふり」をする人は54%であり、「注意する」はわずか11%であると発表している。この現状は、地域教育力の鈍化を表し非常に残念である。
拙寺では、10年前から、上記の理念に基いて、毎年夏休みに小学生のみを対象に三日坊主修行を実施している。目指すものは、他者との共生、異質なものへの寛容を養い、柔らかな感性を育てるために体験活動を通して本当の自分を気づかせ、生きる力、生きる原動力を育てるものと考えている。(平成17年4月1日記す)
道心に帰ろう
道とは、人や車、動物達が歩き走るところであることは知っている。また、これらが通ればそこに道ができる。
しかし、道には目に見えない道もある。これは人生の道であり、人が正しく生きるための道もある。
道とは「とおる」「おさめる」「正しい」「みちびく」「おしえる」「助ける」「精進する」などの多くの意味を持っている。
昨今の世情をみると、大人は金のために汚職や不正の犯罪を、青少年は無規範に覚せい剤の乱用や殺傷事件を起こし、道から外れた道でない危険なところを通っている。
また、何が善か、何が悪かの価値判断が判らない多様化もしてきている。
この価値判断をする心の問題であるが、平安時代に弘法大師空海は、庶民の子どもたちに学問を教えるため、日本で最初の「綜芸種智院」という学校を開くときに、次のような言葉をいっている。「物の興廃は必ず人による、人の昇沈は定めて道にあり」、この意味は、物が益々興隆していくか、衰えて退廃していくかは、必ず人々が力を合わせて志を同じくするか、しないかにかかっているという。また、その人々の善い心によって栄達に昇るか、悪い心によって罪悪の淵に沈むか実に道を学ぶか、学ばなければならないかによる。すなわち、道を学ぶかによって善悪の判断がわかるという。
では、この道とはどういうことかというと、前述のように道にはいろいろな意味があるが、正しいこと、人が守らなければならない道理ということで、その善悪や是非を判断して正善につく心を道心という。
道は「首」と「」から出来ており、首は頭部で、しんにょうは「」で「行く」と「止り」の意味である。足を一歩踏み出すときに、行くか、止まるかを頭で考えることである。
今、私たちは原点にかえって、ことを起こすときは自分で考える心「道心」に帰って実行してもらいたい。そうすれば自分が歩む道は誇れる道であろう。
句碑
当寺を訪れた俳人が、揮毫された句碑が多くある。吟行に訪れる俳句愛好家が多く、俳句寺とも言われている。
現在は、12碑あり、32人の句が刻まれている。
小谷 史井(1932~2018年)
- 阿南市の生まれ。
- 昭和24(1949)年俳句松苗結社に入門、宮下歌梯氏に師事。
- 平成17(2005)年~平成25(2013)年大櫛静波の跡を継ぎ、第3代目松苗主宰となる。
- 平成16(2004)年より徳島新聞「徳島俳壇」と毎日新聞「徳島毎日俳壇」の選者となる。
- 松苗会長を歴任。
斉藤 梅子(1929~2013年)
羽ノ浦町の生まれ、徳島市住い。
第10回現代俳句女流賞受賞、俳誌「青海波」出版主宰者となる。
徳島新聞俳壇選者、句集多数出版。
岡田 麦風(1925~2008年)
貞光の人。
祖谷同人、句集「麦の花」出版。
小山 白楢(1895~1981年)
粟津 松彩子(1912~2005年)
小山 白楢(画像向って右)
新潟の生まれ、徳島市住い。
ホトトギス同人、「祖谷」創刊主宰者。
粟津 松彩子(画像向って左)
京都の人。
ホトトギス同人、「松彩子句集」「月牙」「あめつち」など。
宇山 久志(1926~1998年)
貞光の生まれ、徳島市住い。
ホトトギス同人。
豊川 湘風(1911~1996年)
徳島市の人。
祖谷同人、朝日新聞「徳島俳壇」選者、句集「藍の花」「藍」出版。
合田 丁字路(1906~1992年)
琴平の生まれ、高松市住い。
ホトトギス同人、四国新聞俳壇選者、句集「火焔樹」「花の宿」多数出版。